北海道 宗谷岬 戦争遺跡


 日本最北端の地、宗谷岬にも、戦争遺跡がありました。


旧海軍望楼

帝政ロシアとの国交が悪化し始めた明治35年に、国境の備えとして旧帝国海
軍が建設したもので、当時最強といわれたロシアのバルチック艦隊が、宗谷海
峡、津軽海峡、東シナ海のどこかを通過し、ウラジオストクに集結するかを察知
することは、戦略上極めて重大であったことから、同望楼の海上監視にも、任
務の重要性が課せられました

日露戦争の終結に伴い望楼の使命は終わりましたが、その後も、大正9年沿
海州で起きた尼港事件(※)では無線通信基地として、太平洋戦争では対潜水
艦監視基地として使用されました

稚内では明治年代の建築物で現存する唯一のもので、昭和43年12月、市の有
形文化財に指定されました


※尼港事件(にこうじけん)

アムール河(黒竜省)河口から40キロメートル上流の港町尼港(ニコラェフスク)
で発生した邦人虐殺事件。ロシア革命後、わが国のシベリア出兵に反感をもつ
パルチザン(遊撃隊)が、大正9年3月から5月の間に引き起こした事件で、日本
守備隊、邦人合わせて700人が虐殺されています。 

(以上稚内市役所HPより転載)




何もなければ、のどかな場所です。


宗谷丘陵には、陸軍の宗谷要塞の跡があります。




牧場敷地内のため、望遠撮影しか出来ません。


トップへ
トップへ
戻る
戻る