大阪市天王寺区の生國魂神社の隣に、生玉公園があります。そして、この地
下には、戦時中に使用された地下壕が残っています。中には入れませんが、こ んな名板が設置されています。
先の戦争において我が国はアジア・太平洋地域の人々に対し大きな災禍と
苦痛をもたらしたことをわすれてはなりません。また、大阪においても8次にわ たる大空襲を含む50回を超える空襲を受け、まちは一面の廃墟となりました。
ここ、生玉公園は1940(昭和15)年5月着工、42(昭和17)年5月に開園、地
下壕は当時軍部が戦局を拡大させる中で空襲に備えるための「都市防空壕」と して大阪市によって建設されました。
地下壕については、その建設経過や使用状況などの詳細は明らかになって
いませんが、戦争末期には陸軍が使用していました。戦後、米国戦略爆撃調 査団により刊行された報告書では、当時、一般では入手できなかった資材を使 用して建設された「特別防空壕」の例として報告されています。
また、この地下壕建設にあたっては、当時の植民地支配の下で「強制連行な
どにより集められた朝鮮人が苛酷な労働に従事させられた」との体験者の証言 があります。
戦後の50年にあたり、戦争の悲惨さを語り継ぎ、国籍・民族・文化等の違いを
超えた相互理解と友好を深め、世界平和を心から願う気持ちを込め、ここに銘 板を設置します。
地下壕の構造
内部の構造はアーチ状で鉄筋コンクリート造り、2階建て(ただし2階部分は
現存せず)で、本体は幅約9m、高さ約6.5m、長さ約24m、1階部分の床面積 203平方メートルとなっています。(大体、小さい体育館やホールくらいの大きさ でしょうか。)
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