原付2種で行く 中国、九州、四国ツーリング @


2006年5月3日(祝)の未明、九州に向けて、大阪府高槻市からツーリングに
出発。
紫電改は西日本へツーリングに行く際は、いつも兵庫県明石市の吉野家で牛
丼を食べるが、BSE騒動で、牛丼は販売していない。仕方なく、焼肉丼を注文
するが、朝食としては油が多すぎて、中年の私の胃袋にはきつすぎます。豚丼
にすればよかった・・・・。

左手に美しい播磨灘を見ながら国道2号線をひたすら西に走る。
相棒のホンダCB125Tは、このツーリングのために、前後のタイヤ、ブレーキ
パッドを交換したので、気分よく乗ることが出来ます。
岡山、広島を越えて山口県に至る。

宮島口駅で休憩。海の向こうに宮島の厳島神社の鳥居が見える。
旅行気分を味わうため、穴子丼(あなごめし)の上を注文。なんと1600円。正
直、1600円の満足感はありませんでした。続いて、駅前のカキの屋台で焼き
ガキを注文。こちらも生焼けで、その晩、お腹を壊すことになります。

 


第六潜水艇記念碑という看板を発見し、見学。



 
第六潜水艇は、日本初の国産潜水艇として完成した57トンの潜水艦だが、明
治43年4月15日、山口県岩国市新湊沖で訓練中、事故のため沈没。
佐久間艇長以下14人の乗組員は最期まで各自の持ち場を守り、死を迎えた。
佐久間艇長は潜水艦の将来の発展のために事故原因など手記に残した。佐
久間艇長の話は、肉弾三勇士、ハワイ特殊潜航艇の九軍神、ラッパ卒の木口
小平などとともに、軍神として崇められていました。

山口県徳山港に到着。ここから周防灘フェリーで大分県竹田津に渡ります。


もうすこし早ければ、対岸にある人間魚雷回天の基地として有名な大津島を見
学出来たのですが、残念です。この秋、人間魚雷回天を取り扱った、横山秀夫
原作の「出口のない海」という映画が封切られますが、若い命がこの海から旅
立ったことに思いをめぐらせ、夕焼けを眺めていました。
また、徳山湾は、戦艦大和が菊水作戦に出航したところなんですね。


待合室には、悪書(死語)追放のポストがありました。私はこの中の本が欲しく
てたまりません。(笑)


この日は、大分県杵築市のインターネットカフェで宿泊。ネットカフェはシャワー
もあり、安くて快適です。


2006年5月4日

 インターネットカフェで目覚める。まだまだ、ツーリングの際にインターネットカ
フェを寝場所に使うライダーは少ないように感じるが、今後、利用者は増加して
いくことと思われる。

九州で吸う朝の空気は、すがすがしく、なんだか濃いように感じる。


別府港で休憩した後、地獄巡りの坊主地獄を見学。
開園前にもかかわらず、観光客が多いので、特別に見切り開園してくれる。施
設も綺麗でなかなか楽しい。
ボコボコ湧いてくる大きな泡を見ていると、地球は生きていると感じる。


 
続いて、海地獄、地の池地獄を見学する。
ゆで卵を買うと、温泉から上げてくれるのではなく、カウンターの裏から出てく
る。5個入りでバラ売り不可。コレステロールが溜まりそうです。
 

 

別府から湯布院に抜ける。7年ぶりに訪れたが、由布岳は雄大で美しい。


湯布院はNHK連続ドラマ「風のハルカ」効果か、すごい人出。ハルカ(村川絵
梨)の風のレストランはないのかなぁ。笑



阿蘇に向って、やまなみハイウェィを疾走する。
九州ツーリングの代表的な道で、広大な草原が視界に広がる。牛が草を食み、
馬が駆けている。「来て良かった〜。」と心の中で叫ぶ。
「この道、ええですよ。日本全国の下道を走り回ったこの私が言うのですから、
間違いおません。」



阿蘇神社に参詣。女子大生がおみくじをひいてキャッキャッと笑っていました。

 
阿蘇山を目指し、阿蘇登山道を登る。ゴールデンウィークのため、渋滞気味だ。
途中に阿蘇山スキー場があった。多分、閉鎖しているのではないかと見受けら
れる。九州には他にもスキー場があるようです。


阿蘇山頂に到着。
駐車場には、全国のナンバーのついたバイクがとまっています。
可愛い「鯉のぼり」をつけたバイクが目立つのは、こどもの日が近いからでしょう
か。
 

 
非力なCB125Tでここまで来れたことがとても満足でした。
噴火口からは、蒸気が立ち上っており、地球の偉大さに圧倒されます。
「いゃぁ、遠いとこ、来てよかった!」

硫黄売りの露天が目立つ。水虫、あせも、しもやけにとすすめるのは判るが、
ナメクジ退治にとのコピーも・・・。

 
ライダーの聖地 東の横綱は北海道の開陽台、西の横綱はこの草千里ではな
いでしょうか。いずれも、この場所に至るまでの行程を含め、爽快な道路、綺麗
な景色があり、そして何よりもライダー達が日本全国から集まるところです。
1999年8月29日には、草千里99という10年に一度の大きなライダースミー
ティング(5000人規模)が行われたことがあります。巨大な外輪山、噴火口、

 
緑の牧場で草を食む牛や馬。また、何年後かにここを訪れたいと思います。
連休のため、駐車場入り口付近は大渋滞で、お店をのぞいても、店員さんは大
忙し。人気を避け、道の端っこでペットボトルのお茶を飲む。

田原坂を訪れました。
「雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ 田原坂」と民謡にも歌われた西
南戦争(西南の役)の激戦地です。
弾痕の残る土蔵や、細いを眺め、西郷隆盛、桐野半次郎ら反政府軍の理想と
無念さに思いを馳せる。
 
戊辰戦争の時には官軍であった薩摩士族が、維新後には賊軍となってしまう
複雑さが、明治維新という大事業の困難なところでしょう。
ここが激戦地となった理由は、加藤清正の時代に、熊本城に大きな大砲を運搬
するには、この坂を抜ける以外には方法が無いように道路を整備したためだと
言われています。


激戦地である三の坂は、クルマが一台しか通れないような、グネグネとした見
通しの悪い細い道。多くの先人達が血を流した道を、バイクで走るのが申し訳
の無いような気がしました。

熊本県荒尾市の知人宅を訪問。
うなぎ蒸重や熊本名物の辛子蓮根をご馳走になり、楽しいひと時をすごしまし
た。(ご馳走様で〜す。)

荒尾市は、もともと炭鉱の町。
「月が出た出たぁ〜」の炭坑節で有名な三池炭鉱は、この熊本県荒尾市〜福
岡県大牟田市一帯のことを言い、日本最大の産出量を誇りました。

万田坑

知人の案内で万田炭鉱跡を見学。縦穴や大型昇降機などが保存されていま
す。その圧倒的な存在感は、現代遺跡ファンの私でなくとも、心を動かされるこ
とでしょう。カメラを持参しなかったのが、本当に悔やまれます。

知人宅を後に、長洲港から雲仙に渡るフェリーに乗りました。


約2時間の船旅の後に到着した雲仙は真っ暗で野営の余地なく、
諫早市のネットカフェを目指すことに決定。
ところが、苦労して見つけた諫早のネットカフェは、なんと午前12時で閉店。先
ほどまで、鼻歌まじりで焼肉(しかも、大阪から九州まで来ているのに大阪の鶴
橋の焼肉屋!)を食べていたことを後悔・・・・。汗

仕方なく、長崎に向って、真っ暗な夜中の道を走り始めました。

暗闇の中、不安と寂しさと後悔が込み上げてきます。
クルマやったら、路肩で寝られるのに。家にいたら、布団で寝てるのに・・・。
行き当たりバッタリのバイク旅行は、こんな時に困ります。
また、モバイルパソコンでもあれば、便利なんですが・・・。まだまだ携帯電話の
サイトも使えませんね。
CB125Tのエンジンが規則正しい音を出してくれるのだけが、心の支えです。

1時間くらい走ると、幸いにも、長崎市のはずれに24時間営業のネットカフェを
発見。
いやぁ、よかった。ZZZ・・・・。

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