8月17日 朝、5時半起床。
なんと、隣のライダーの姿が無い。荷物があるところを見ると、私のイビキに閉
口して、寝場所を変えたか?
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他のライダーを起さないように、ライダーハウスからエンジンをかけずにCB125
Tを押して、離れた場所で暖気運転をする。今日も頼むで大将!
美瑛を離れるのが何とも寂しく、再度、パッチワークの路をウロウロする。
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すると、昨晩、ライダーハウスで話をしていた人が、レモンライム色が眩しいカワ
サキ ZRX1200Rで追いついてきました。
これから万華鏡館に行くとのことでした。
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新栄の丘では、北九州のおじさんが、ハイエースで9連泊中とのこと。しばらく
旅の話をして、名残惜しい美瑛を後にしました。
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道道135号線で山越えをして、夕張国道と呼ばれる国道452号線を走ります。
道沿いに、三菱石炭鉱業大夕張線の廃線跡があります。
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7年前に来た時は付近に、廃屋や廃校があったり、コーストタウンとなった街が
見られたのですが、現在は、綺麗に片付けられていました。
途中、南大夕張駅跡で休憩しました。
以前、通りかかったときには、草がボーボー、客車が転倒するなど荒れ放題、
廃墟駅だと思っていましたが、現在は「三菱大夕張鉄道保存会」が手入れして
いるそうで、大変綺麗に保存されていました。
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黄色いハンカチが、目に眩しかったです。
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除雪車の顔がユーモラスです。
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付近には、炭住と呼ばれる炭鉱夫たちが住んでいた住宅が残っていました。ま
だ、ちらほら使われているようです。
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また、廃墟となった幼稚園がありました。草に覆われた運動場と朽ち果てた遊
具が物悲しく感じました。
夕張の街に到着しました。
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かっては、炭鉱で栄えた街です。
炭鉱住宅や火見櫓等、昭和を感じさせます。
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石炭の運搬に使われた線路も廃線となり、鉄橋が撤去されています。
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夕張駅前のホテルと廃線(写真右際の草むら部分)
夕張の炭鉱住宅の集落内にある、映画「幸せの黄色いハンカチ」の撮影地を訪
れる。1977年 松竹 山田洋次監督の名作で、高倉健、倍賞千恵子、武田鉄
矢、桃井かおり、そして今は亡き、たこ八郎が出演。
映画の中で、ロン毛の武田鉄也が運転する赤いマツダ ファミリアが踏み切りを
越え、左側の坂道を上がっていくと、黄色いハンカチがはためいているシーン は、邦画の中の最高シーンのひとつですね。
私は、この映画に影響されて、網走でカツ丼とラーメンを食べました。(笑)
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あらすじ
欽也が島勇作と逢ったのは、春の陽差しの強い網走の海岸であった。欽也は自分の車で、北
海道の広い道をカッコイイ女の子を乗せて、ドライブするのが高校時代からの夢で、嫌な仕事 も無理をして勤め、金をためて新車を買い求めた。東京からフェリーで釧路港へ、そして、あざ やかな緑の根釧原野を欽也の赤い車は、ラジオの軽快なリズムに合わせて、ひた走った。欽 也は網走の駅前で、一人でふらりと旅に出た朱実と知り合う。朱実は列車食堂の売り子で、同 僚から誤解を受けて、やけくそになって旅に出たのだった。朱実は欽也の車に乗せてもらった ものの、海岸で不意に欽也からキスを求められて、車から飛び出した。逃げ出した朱実をかば い、鋭い目付で欽也を睨んだ男、それが島勇作であった。欽也から見た勇作は、なんともいえ ない、いい男だった。しかし、欽也は啖呵を切った行きがかり上、勇作に挑むが、軽くあしらわ れてしまう。そんなことがきっかけで、三人の旅は始まった。欽也が勇作に行く先を尋ねると、 彼は暫らく考え、「夕張」と答えるだけだった。その夜、三人で泊まった宿で、欽也は、勇作が 眠ったのを見定め、朱実の寝床に忍び込む。朱実は必死に抵抗し、大声で泣き出したため、 目をさました勇作に、欽也は一喝を喰わされてしまった。翌日、欽也は毛ガニを買いこみ、一 人で二匹もたいらげたことから、腹をこわしてしまう。車を運転していても、便所のあるところを 見つけてはかけこむ始末である。そんなことで、十勝平野の美しい風景も欽也には共感が湧 いてこなかった。大雪山が見える狩勝峠で、強盗犯人が逃亡したことから一斉検問が行なわ れていた。欽也は免許証を見せるだけで済んだが、警官は勇作を不審に思い質問すると、一 昨日刑期を終え、網走刑務所を出所したと彼は答えた。朱実と欽也は驚きのあまり、語る言葉 もなかった。三人はパトカーで連行されるが、勇作が六年前、傷害事件をおこした際立合った 温厚な渡辺課長の取りはからいで、何もなく富良野署から釈放される。走る車の中で勇作は 重い口を開いて、朱実と欽也に過去を語り出した。--勇作は若い頃、九州に住んでいたが、三 十歳を過ぎて考えを変え、夕張の炭抗で働らき始めた。その頃、町のスーパー・マーケットで働 いていた光枝と恋をして結婚した。それから数年は幸福な日が続いた。そして光枝は妊娠する が、折角出来た赤ちゃんを流産してしまった。その夜、勇作は飲み屋で酔っぱらったチンピラ に因縁をつけられる。あまりのしつこさに勇作は腹をたて、相手を殴ると、チンピラはそのまま 死んでしまう。勇作は六年間、刑務所で過すが、光枝の面影は、勇作の心から離れなかった。 刑期を終える直前、勇作は光枝に手紙を書いた。「俺は、お前が良い男と再婚して、幸せにな っていることを望んでいる。この手紙がつく頃、俺は夕張に行くが、もしも、お前が今でも独りで 暮しているなら、庭先の鯉のぼりの竿の先に黄色いハンカチをつけておいてくれ。そのハンカ チを見たら俺は家に帰る。でもハンカチがなかったら、俺はそのまま夕張を去っていく」と。-- その話を聞いた朱実と欽也は声をふるわせて泣いた。車は赤平、歌志内、砂川を過ぎて一直 線に夕張に向かう。朱実と欽也の祈りをこめて、車は夕張の町に近づいた。しかし、勇作は引 返そうと言い出す。陸橋を越え、車は大きくカーブを描き、街の坂を登っていった。その時、欽 也と朱実の眼に映ったものは、角の家の狭い庭先に、不釣合いな高い旗竿の上から下まで並 んだ何十枚もの黄色いハンカチであった。欽也と朱実は手と手を固く握りしめる。黄色いハン カチのなびく家から、光枝は出てきた。語りきれない愛の言葉を胸に秘め、静かで温かな勇作 の眼は、じっと光枝を見つめている。六年の歳月も、二人を離すことはできなかったのだった。
夕張の商店街には、「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」にちなみ、歴史的
な映画の看板が掲示されていました。
看板は90枚もあるそうです。
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伊豆の踊子、見た見た! 川端康成は大阪府茨木市の出身。羅生門、三船敏
郎が名演、哀しき口笛、美空ひばりは天才子役。
ウーンなかなか俺も古い映画を見ているものだと、感慨にふけっていた
ら、??? ゴルゴ13!
これ名映画ですか? 千葉真一のパンチパーマと、鶴田浩二のアイパーが時代
を感じさせました。(笑) ![]() ![]() ![]() ![]()
この後、札幌のススキノに寄り、ジンギスカンを食べました。ちょうど、店内で
は、高校野球で駒大苫小牧の試合を放送していて、みんなテレビに釘付けでし た。
北海道土産といえば、石屋製菓の白い恋人。北海道でしか売っていません。
私は密かに、北海道の赤福餅と呼んでいます。(笑)
(赤福餅とは、三重県伊勢市のお伊勢参りの名物です。)
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札幌から小樽港に向かう途中、白い恋人パークで休憩しました。
汗とホコリにまみれた薄汚い私は、外から見学しただけでした。
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15時30分小樽港着。
帰りのフェリーは23時50分発。
まだまだ時間があるので、小樽でウロウロします。ジンギスカンを食べたり、小
樽交通記念博物館にも行きました。(私は鉄っちゃんではありません。(笑))
ここ、なかなかええです。静号や懐かしのスバルR2がありました。
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いよいよ、北海道とのお別れの時がきました。
また来ることが出来るのか、これが最後なのか判りませんが、みんな、バイクの
後に思い出をいっぱい載せて、フェリー「はまなす」に乗船します。
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本日の走行305キロ
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帰りのフェリーは、2等寝台です。狭いながらプライバシーが確保されていて、
快適でした。
京都府舞鶴港到着は、8月18日 22時30分。
一斉に、バイクがフェリーから降ります。
方々に、自分の家を目指します。
誰か、声をかけてくれないかなぁ。などと考えてしまいます。
何か、子供の頃に星が見えるまで遊んで、帰宅する時のような感じです。
帰宅したのは午前0時30分。
6時間も寝たら出勤です。
今日の走行 115キロ。
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