ツーリングレポート しまなみ街道経由九州の旅!

プロローグ 平成11年4月のある日。

 私は、33歳の独身サラリーマン。大型連休となったゴールデンウィークに、何の準備も無し 
に急遽九州へ行くという全く無謀な計画を実行してしまった。 
 というのも、友人達はみんな結婚してしまいツーリングに誘っても 「子供の面倒を見るから」 
とか、「休みは家族サービスがあるから」 と言って相手にしてくれなくなり、「もう若くないのカ 
ナ」と昨年の夏の和歌山新宮ツーリングを最後にスズキ アクロス250CCを125CCのホンダ 
CB125Tに乗り換えて、完全な通勤仮面ライダーに変身してしまっていたからだ。
 皆さん、ホンダCB125Tをご存知ですか。4サイクル2気筒16馬力の一応オンロードスポー 
ツバイクですが、一見警視庁御用達のゴキブリ号そっくりの昭和50年代から大きなモデルチ
ェ ンジを受けていない地味〜なバイクなのです。
 ご存知のとおり、125CCは、高速道路は走れません。今からフェリーが予約できるのか判
り ません。どうすれば、九州までたどりつけるか考えていました。そんなとき、何気なく新聞を
見て いますと、尾道−今治のしまなみ街道が、5月1日の5時30分に開通するうえ、原付でも
渡れ るという記事が目に入りました。一度、四国の今治に渡り、八幡浜から九州へ上陸しては
どう だろう。 「これだ。」中年男の冒険心が揺すぶられました。思えば、大学3回生のとき、原
付スクーター で日本海を北上して北海道の稚内を目指すというこれまた無謀な計画をたて、
資金集めのた め、早い、うまい、安いの某牛丼屋でバイト中、睡眠不足と過労により胃痙攣を
起こし救急車で運ばれ、計画を断念してしまった苦い経験をもつ私にとって、また、人より大き
なハンデを持ちつつ、人以上のことをやってやるというハングリー精神を身上とする私には、こ
れ以上の計 画はありません。「よっしゃ一発やったる。」(いややわ、こんな表現。)男は寝袋で
野宿だ。出発前夜に友人か ら合同コンパの誘いの電話がありましたが、私の心はすでに阿蘇
のカルデラを駆け巡っています。

 5月1日 土曜日
 なかなか寝付けない夜が明け出発の朝を迎えましたが、家族は寝たまま。飼い犬のダックス
フントだけが見送ってくれました。
 朝6時。土曜日なので、駅の前を通ると仕事に向かう人も沢山おられます。
 近所のガソリンスタンドで給油、エアーチェックを行いました。チェーンが少し緩いと思いまし 
たが旅先で休憩がてら絞めてもらうこととしました。こんなことは事前に行うべきことですが、当
日やっているところに、無計画さを物語っております。また、5,000円しか持たずに家を出た 
ので、銀行を探しますが、銀行のATMは9時から。国道2号線を西へ西へ走りながら銀行へ 
立ち寄りますが、地方の銀行は、土曜日はATMが閉まっています。そのうえ、途中休憩した道
の駅でしまなみ街道の開通は、〃夕方〃の5時30分であることが判りました。いきなり予定を 
変更して岡山県玉野市宇野港へ。やっとのことで、港の前の信用金庫が開いているのを見つ 
けました。信用金庫のポスターふたりっこのヒロイン菊地麻衣子も笑顔で迎えてくれ、お金をお
ろしやっとツーリングの準備が出来上がりました。
 瀬戸大橋は目の前ですが、125CCでは高速道路は走れません。宇高国道フェリーを利用し
て約1時間、鳥取県から来たヤマハTRX850氏と雑談しながら、高松港へ。またまた西へ西 
へと走ります。途中、香川県観音寺の琴弾公園で銭型平次のオープニングで有名な外周345
メートルもある巨大な砂づくりの寛永通宝銭型を見ながら休憩。昨夜沸して水筒に持参のダイ 
エットギムネバ茶をラッパ飲み。


 香川県観音寺琴弾公園


 時計を見ると午後3時。昼飯もまだなので、香川県名物のうどん屋へ。おばちゃんの「うどん 
今打ってるから、30分待って。」の声にがっかりしましたが、当店名物手打ちラーメンの文字を
発見。思わず「おばちゃん、ラーメン大盛りにして。」出てきたラーメンの麺はさすがうどん処。う
どんと同じ太さでありました。ちなみに母の実家は製麺業なので私は麺類にはちょっとうるさい 
のです。
 川之江の製紙工場の巨大なプラントを眺めながら、またまた西へ。夕方の渋滞につかまって
しまいましたが、端午の節句の鯉のぼりを見ていると、大阪とはあげ方が違うので興味がそそ 
られます。おそらく、瀬戸内温暖気候のため風が弱く、鯉のぼりをぶら下げているのではない 
かと思います。ツーリングへ行くと、その土地々々で、屋根の鬼瓦の形や瓦の色が違ったりし 
ますので、皆さんも御覧下さい。新しい発見があります。広島県には鳩の鬼瓦もあります。
 午後7時に愛媛県松山市の妹の嫁先へ。夕食と風呂をよばれました。妹婿から泊まって行く 
ように勧められましたが、今日中に九州上陸を目指していたため、午後9時に出発。夜道を西 
へ西へ。
 八幡浜へ着いたのは午後11時。やっとのことで、午前0時20分発の別府行のフェリーに乗 
れました。バイクは車の後から積みこまれますので、2等の席は既に満員で入り込む余地はあ
りません。仕方がないので、バイクの横で新聞を敷いて寝転びますが、疲れているのに眠れま
せん。船内をうろうろしていると別府の夜景が見えてきました。ついに九州です。「CBよ。あれ 
が九州の灯だ。」リンドバーグではありませんが、苦労しましたので、感動せずにはいられせ 
ん。下船は午前3時。他のライダーにならい夜が明けるまでフェリー乗り場のベンチで仮眠をと
ります。本当に長い長い1日目でした。 (走行距離501キロ)

  愛媛県八幡浜フェリー乗場


 5月2日 日曜日
 
気がつくと午前7時。他のライダーは既に出発しています。今日も頼むぞCB125。
湯煙たつ別府の温泉街を抜け、通称豊後富士、由布岳へ。関西には見られない大きな石が 
点在する高原を見て、九州へ来たことを実感しました。
 やまなみハイウェイは単車乗りの天国。ピースサインの連続です。時々、ビックバイクが大き 
な音を立てて非力なCBを追い越して行きます。CBと荷物と私を合わせれば、重量だけは負 
けないのに…。
 阿蘇の外輪山を抜けると「オーッ」世界最大の巨大カルデラ地帯が、目の前に広がります。 
合コンを蹴って来た甲斐があったというものです。阿蘇神社にお参りして、いよいよ阿蘇登山 
道へ。思えば高校生の時、舟木一夫の唄ではありませんが、修学旅行は九州阿蘇へ夜行列 
車で行けると喜んでいたのに、私の学年から、スキー旅行になってしまいました。後で知ったの
ですが、スキーの修学旅行は、他の学校の生徒との接触も少ないので喧嘩の心配もなく、夜も
外が寒いので生徒が抜け出さず、昼間は現地雇いのスキーコーチが生徒の面倒を見るので、
先生にとっては一番楽な方法だということです。
 念願の阿蘇山を登っていきます。牧場の牛が草を食んでいます。「がんばれCB、頂上はもう
少しだ。」途中、草千里で休憩、ドライブインで高菜飯を大盛で食べました。高菜飯は、阿蘇名 
物の高菜の入った焼飯といったところです。
 山上には全国から何十台のバイクが集まっていましたが、さすがに125CCは1台だけ。「頑
張ったな、CB。」CBも少し誇らしげです。
 阿蘇山上ではおじさんが、観光客相手におもしろおかしく阿蘇山の説明をしたり、カメラのシ 
ャッターを押したりしています。このおじさん、後で必ず阿蘇山の写真を無理矢理売りつけるの
で、14〜5年前、伝説の深夜放送と言われる京都の深夜ラジオ放送、ハイヤング京都 水曜
日 つボイノリオで『阿蘇の写真売り』としてネタになっていました。い つも本日限りの特別な高
山植物のしおりをおまけしてくれます。ところが、おじさんもたくましく、
「私が京都のラジオで有名なあの阿蘇の写真売りでございます。」と開き直っていたそうです。

  阿蘇登山道


  阿蘇火口


 阿蘇山を後にして熊本へ。熊本で熊本ラーメンを食べることが、この旅の目的のひとつで
す。 
全国ラーメン食べ歩きの本も持ってきて気合充分でしたが、夏を思わせる高温と睡眠不足で 
ボーッとしてどうしても目的のラーメン屋を見つけることが出来ません。他のラーメン屋でした 
が、念願の熊本ラーメンをまたまた大盛で食べました。麺に腰があるのが印象的でした。おし 
ゃべりな私は聞かれもしないのに「僕、大阪から熊本ラーメン食べにバイク乗ってきましてん。 
やっぱりおいしいわ。」と店のおばさんに話しているとギョーザをサービスしてくれました。
 熊本城の前で顔を洗って水をかぶり鹿児島を目指し出発。島原の雲仙岳を遠く望み国道3 
号線を今度は南へ南へ。
 途中、水俣湾を望む丘で休憩。この美しい水俣湾が、その昔、有機水銀で汚染されていたと
は、想像出来ませんでしたが、現在も水俣病で苦しむ方が沢山いらっしゃるのです。
 太陽が徐々に傾いてきました。時計を見ると18時。睡眠不足を感じたので今日は無理出来 
ません。鹿児島県吹上浜のキャンプ場に行くと、東京から来られたライダーが一緒にキャンプ 
しませんかと誘ってくれました。吹き上げ浜では外国船にアベックが拉致された事件があった 
ので、注意を呼びかける看板があり不安に感じていましたので助かりました。その上、ビール 
を奨めてくれ、日本一周中の方や、愛知県の方、自転車旅行中の方を含め盛り上がり楽しい 
一時をすごしました。ちなみに、東京から来られたライダーグループは、1名が阿蘇で事故って 
腕を骨折。即日帰京したとのことでした。(走行距離438キロ)


 鹿児島県吹上浜より東シナ海に沈む夕日を眺める

 吹上浜キャンプ場

 
5月3日 月曜日

 翌日は、7時に起床。加世田の旧陸軍万世航空特攻基地跡にある平和記念館へ。9時の会
館までに時間があるので、ぶらぶらしていると、30分前であるにもかかわらず「遠方から来く 
れたので。」といって特別に時間を早めて入館させてくれました。また、館長自らご説明をいた 
だくことも出来ました。太平洋戦争末期、ここから17〜25歳位の若い航空兵が、片道の燃料 
で爆弾を搭載した戦闘機、攻撃機、赤トンボと呼ばれる練習機までも使用して、沖縄の米艦 
隊へ向けて、人間爆弾となり特別攻撃に飛び立っていったのです。当時使用した滑走路は、現
在道路となっていますが、原型を留めていますので、バイクで走ってみました。当時の若者は、
この滑走路で何を思ったのでしょうか。本当は、20歳位の時にこの地へ来て特攻兵のことを 
考えてみたかったのですが、10年以上も遅れてしまいました。この後、同じく、知覧、鹿屋、串 
良基地跡も訪ねてみました。

海軍串良航空基地後桜並木(滑走路跡) 


 指宿スカイラインを通り鹿児島港へ。雄大な桜島が煙を上げています。フェリーを利用して桜
島へ。溶岩地帯を走ります。


フェリーから桜島を望む


 国道269号線を今度は北へ北へ。宮崎に入ったところで、日が暮れました。楽しみにしてい 
たフェニックス並木と日向灘は真っ暗で何も見えません。天気予報では、夕方から翌日は雨。 
低気圧の北上速度に負けないように走りますが、延岡で雨が降りだしました。翌日には帰宅し 
て5日は体を休める必要があるので、(サラリーマンの鑑やわ)今日中に四国へ渡ることが目 
標です。雨が降っていてかつ夜にもかかわらず、多くのライダーとすれちがいます。夜9時を過
ぎると本降りとなり、前が良く見えません。山道では自動車の通行を待ってテールランプを追う 
こととしましたが、不審に思うのか先に走れと左に寄ってウインカーを出してしまいます。こんな
ことを7〜8回繰り返していましたが、CBがガラガラといやな音をたてて止まってしまいまし
た。 
 自動車は行ってしまい辺りは真っ暗な山の中。雨は容赦なく降り続いています。何とチェーン
がはずれています。出発の時、気になっていたのに放っておいたのが悔やまれます。懐中電 
気をつけて約30分。何とかチェーンをはめました。「うーれーしー。」雄たけびが山の中に響き 
わたります。やっとのことで、0時30分別府港へ到着です。港の前で大盛ラーメン(またかい 
な)を食べました。冷えた体にはこたえられません。ラーメン屋のおばさんが「100円で温泉入 
れるよ。」と声をかけてきます。流石、別府。ラーメン屋に温泉があるのです。温泉に飛び込み 
ますと体の疲れが癒されます。お風呂は本当に有り難い。
 午前2時発の愛媛県三崎行きのフェリーへの積みこみを雨の降る中待っていると、フェリー 
のおじさんが、「雨の中大変なので。」と時間前なのに特別に私だけ船に乗せてくれました。客 
室にも通してくれたのでよい場所が確保でき、快適に寝ることが出来ました。三崎到着は午前 
4時10分。そのままフェリー乗り場で引き続き泥のように寝ました。今日も苦労しました。(走 
行距離507キロ)



5月4日 火曜日

 物凄い雨風の音で目が覚めると午前6時。躊躇しましたが、出発。佐田岬の尾根を走るメロ 
ディーラインを東へ東へ進みますが、雲が低くたちこめており、視界は約20メートル。横風も物
凄く少し気を許すとあっというまに対向車線迄ふられます。途中、バスの待合所で寝ているライ
ダーが何人もいました。昨夜の雨で避難したのでしょう。時速30キロをキープしてやっとのこと
で平地に出ました.
 松山でレッドバロン店を見付けたので、チェーンを絞めてもらおうと訪ねてみると、まだ、開 
店まで30分もあるのに特別に作業をしてくれました。また、貸してもらった乾いたタオルが何よ
りも有り難く感激しました。この旅では、本当に皆さんの暖かい厚意に助けられたと思います。 
皆さん本当に有難うございました。
 往路に渡れなかったしまなみ街道を目指し今治へ。案内看板を追って走ると大渋滞。ところ 
がそこには高速道路しかなく、原付や自転車は歩行者同様に橋の付根から別ルートで渡ると 
のこと。
 歩いて橋を渡るハイキング姿の通行者の列を目印に走っていると、ありました来島大橋原付
車入口。道幅3メートル位のうねったスロープを200メートル位上がっていくと料金所。驚いた 
ことに無人で賽銭箱のような料金箱が置いてあるだけ。200円を投入して橋を渡る。原付は自
転車と同じ通路(道路というより歩道を走っている感じ)で制限速度は30キロ。橋の反対側は 
歩行者専用通路。道幅がせまく、橋脚部分をかわすためのカーブも多く、30キロ以上の速度 
で走るのは無理に感じる。前方にはダンボールのみかん箱を荷台にくくりつけたスーパーカブ 
のおじさんが走っているだけで、他には通行車両はなし。自動車専用道路と違い橋の横側を 
走るため、潮流の速い来島海峡に渦潮が巻いてるのが良く見える。高所恐怖症の私にはちょ 
っとつらいがすばらしい眺めだ。約4キロの橋を渡りきるとスロープをおりて大島へ。大島では 
橋の開通を祝い雨にもかかわらずお祭り騒ぎ。大島の県道を走り伯方・大島大橋へ。またま 
た、うっねったスロープをどんどんのぼっていき今度は100円を料金箱に投入。尾道まではこ 
の作業の繰り返しだが、今治のお祭り騒ぎに比べ、尾道側に近づくにつれて案内看板も少なく
道が判りにくい。尾道大橋や因島大橋は以前より開通しているから新鮮味も少ないように感じ 
る。料金所は7ヶ所。尾道大橋以外は無人のため、100円を4枚、50円を3枚、10円を一枚 
の計560円が必要です。約80キロの道のりでしたが、スロープの上がり降りに手間取られ、 
約2時間30分かかりました。原付道路は島の人の生活使用を目的としているようで、ツーリン 
グには不向きですが、安価に本州と四国を渡る方法のひとつではあります。
また、しまなみ街道として案内されている道路は、地元の名所、旧跡、土産物屋の前を通るよ 
うに設定されているため観光を目的とすばうまく考えられた道ですが、商店街を抜けたりします
ので、急ぐ人には不向きであります。
 本州に上陸後は国道2号線をひたすら西へ西へ。雨はいぜんとして降り続き、レインコートや
グローブカバー、ブーツカバーは浸水してしまっています。信号で止まっているときに伸びをす 
ると拳から水が滴り落ちます。
 岡山市を抜けるとブルーハイウェイという有料のバイパスがあります。50CC原付でも走るこ
とが出来る岡山県の蕃山と君津を結ぶ約40キロメートルの美しい道路です。皆さんご存知の 
とおり125CCは原付2種であり、有料道路では軽車両扱いとなり、自動二輪に比べ5〜10分
の1の料金となります。有料道路の料金所では、いつも 「125、原付、げー んー つー きー」 、
と大きな声で前輪の泥除カバー先端の白いライン(原付2種を示す)を指差して言わないと、自 
動二輪の料金つまり軽自動車と同じ料金をとられてしまいます。往路に君津インター料金所に 
ていつものように 「原付、125よ。」 とアピールしていたら、「判ってる。」 とおじさんに言われ4 
50円をとられました。 思ったより高い料金に感じたので、「原付なんですけど。」 ともう一度言
ったら「やかましい、なんべんも言わんでも判っとるわい。」 と怖い顔で怒鳴られました。後でツ 
ーリングマップル(原付の料金や、原付が走れる道路かどうかも書いてあるとても便利な道路 
地図)を見ていたら、原付90円と書いてあります。復路にお金を返してもらおうと、蕃山インタ 
ー料金所でレシートを見せて事情を話したところ、おじさんは、「これは、君津インターでの間違
いだから、君津へ戻って請求してくれ。」 と言うのです。たった360円のために、40キロも戻れ
るわけもなく、泣き寝入りするしかありません。少し後味の悪さが残りました。
 兵庫県姫路市のコンビニの前で弁当をパクついていると、岡山市で追い越したスーパーカブ 
50の青年が横に座る。軽装なのにナンバーは大阪府池田市なので、声をかけてみると、大阪
大学の学生。今朝山口県を出発して帰る途中で、本日の走行距離は500キロを越えそうとの 
こと。昨夏にはスーパーカブで北海道にもツーリングに行ったと言っている。
世の中にはとんでもないサムライがいるものだ。お互いの旅の安全と健闘を祈りエールを交換
しました。
 午後10時半に帰宅。「おつかれ。よう頑張ったなCB。」荷物をおろしてガソリンタンクをなで 
てやりました。出発時に見送ってくれたダックスフントもやさしく迎えてくれました。

(走行距離562キロ)

(本稿は、八重洲出版 「モーターサイクリスト」 1999年8月号258〜261ページに掲載され
ました。) 

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